郷土史
前回のブログで国道36号線の錦岡旧ルートについて書きましたが、植苗にも旧ルートがありました。 下記図の「大曲」と書かれている部分がそうです。 (植苗美沢のあゆみより) 昭和27年の航空写真では大曲のルートがくっきり写っています。 (国土地理院 昭和…
苫小牧を東西に貫く国道36号線。 その36号線に旧ルートが存在したことはあまり話題に上らない。 しかも錦岡と植苗の二ヶ所もあったのに。 今回は錦岡の旧ルートについて紹介します。 (昭和38年の航空写真) 現在の36号線、錦岡地区は海沿いを通りますが以前…
植苗地区学校記念碑探索の際に偶然見つけた沼。 道路沿いから見るとこんな感じ。 地図に名称なども書かれていないし、webでも情報が拾えなくて秘境の沼といった感じ。 「植苗美沢のあゆみ」には短いですが記載されていました。 「佐々木沼…パンケナイ川の上…
以前、美沢地区を探索した際に「美々尋常小学校跡地」記念碑を見つけ、その後「植苗美沢のあゆみ」という町内会の記念誌を読んでいると同時期に植苗地区でいくつか学校跡地に記念碑を建てたとの記述と写真が掲載されていました。 町内会誌によると記念碑は全…
①篤農作田翁之碑(昭和3年建立) (2020年4月1日撮影) めっちゃ自宅から近いのに今まで全く気づいてなかった碑。 1909年(明治42年)錦多峰地区の入植者第一号として開墾にあたり、昭和2年に亡くなった作田高之助の功績を称え、当時の苫小牧農事実行組合有…
2020年4月18日 探索の記録。 ①稔橋(ねんばし) 1944年(昭和19年)当時早来に駐屯していた陸軍第77師団(通称 稔部隊)が休止になっていた旧富内線の鉄橋を物資輸送路として使うためにコンクリート製に改修したことから稔橋と呼ばれています。 富内線とは、…
市内には王子社宅、西町住宅博覧会以外にもアッシュブロック住宅が現存しています。 末広町にあるこの御宅は現在も居住中のため良い状態が保たれていて、大変味わい深いブロック住宅です。 ここで使われている小さめのブロックは初期の頃のアッシュブロック…
昭和28年(1953年)、苫小牧市は開基80周年、市政施行5周年を迎え、第4回観光まつり(港まつりの前身)の記念事業として「寒地向住宅博覧会」を開催した。 (昭和28年8月15日 北海タイムスより)(ブロック住宅平面図集より) この時に展示販売用として19棟…
先日、旧西町地区(矢代、弥生、大成、白金)を探索してきました。 まずは苫小牧西小学校。 明治9年に開校し今年で145周年、苫小牧で最も古い学校です。 元々は今の本町、中央ボウル辺りにありましたが大正10年の大火で焼失、同年現在地にて再建されました。…
今回は錦岡地区の石碑を巡ってきました。 ▪︎太平洋水難供養塔(昭和21年建立) パチンコ屋ダイナムの裏の海岸です。元々は汐見町の海岸にありました。 建立したのは妙見寺創設者の中島啓蓮尼。 昭和初期、汐見町や浜町の海岸は海水浴場として賑わっていたそ…
明治天皇が立ち寄った美沢には御駐蹕之蹟以外にも郷土史的に貴重な資料がいくつかあります。 明治天皇が休憩したのは当時の開拓使美々鹿肉缶詰製造所。 その際に同所の井戸水を天皇に供したことから昭和4年に当時の苫小牧町長が『御前水』の碑を建てました。…
苫小牧市内5カ所にある「御駐蹕之蹟」 これらは明治14年、北海道行幸中の明治天皇が苫小牧に立ち寄った事を記念し、大正8年、当時の苫小牧町長が建立したものです。 千歳を出発した一行は当時、美沢にあった鹿肉缶詰工場で休憩しました。 ① その後、植苗の柄…