郷土史とアナログ盤の日々

苫小牧からです。 郷土の歴史に興味があり、あちこち巡っています。 巡った場所や調べたことなど整理したいと思いブログを始めました。 その他、大きな愛情を持って楽しんでいるレコード、アナログ盤についてもちょっと触れたりしています。

苫小牧 錦岡 石碑巡り

今回は錦岡地区の石碑を巡ってきました。

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▪︎太平洋水難供養塔(昭和21年建立)

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パチンコ屋ダイナムの裏の海岸です。元々は汐見町の海岸にありました。

建立したのは妙見寺創設者の中島啓蓮尼。

昭和初期、汐見町や浜町の海岸は海水浴場として賑わっていたそうです。その分、水難事故も後を絶たず、心を痛めていた啓蓮尼は毎年お盆に卒塔婆を立てて供養を行なっていましたが苫小牧仏教会や有志の浄財により供養塔を建立、平成元年に汐見町から現在地に移設されました。

移設理由について汐見町内会記念誌には「海水浴が出来なくなり水難事故も無くなったため」と書いてましたがそれは錦岡も同じこと。何か他の理由があったのではないでしょうかね?

 

▪︎馬壢神(昭和3年建立)

海岸から線路を渡った先、青雲町の錦岡総合福祉会館駐車場の角。

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建立したのは明治33年に錦岡に入植し牧畜業を営んでいた山田幸助氏。

元々は山田牧場の一角にあったものを四男の幸治氏が昭和63年に現在地に移設した。(山田牧場があった場所は不明。鋭意調査中)

幸助氏は錦多峰牧場の支配人を務めるなど苫小牧屈指の放牧場を作り上げた。

 

▪︎古いサイロ

錦多峰川の川沿を山に向かって進んでいく。うぐいす団地を越え、高速道路も越え、市のサケ・マス孵化場の手前辺りの茂みにポツンとサイロがある。

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家屋や牛舎など周りに見当たらず、何に使われたのか不明な建造物とサイロのみ。

サイロを見る限りかなり古そう。

どういう状態で営まれていたのでしょうか??