郷土史とアナログ盤の日々

苫小牧からです。 郷土の歴史に興味があり、あちこち巡っています。 巡った場所や調べたことなど整理したいと思いブログを始めました。 その他、大きな愛情を持って楽しんでいるレコード、アナログ盤についてもちょっと触れたりしています。

稔橋〜旧植苗小〜美々尋常小学校

2020年4月18日 探索の記録。

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①稔橋(ねんばし)

1944年(昭和19年)当時早来に駐屯していた陸軍第77師団(通称 稔部隊)が休止になっていた旧富内線の鉄橋を物資輸送路として使うためにコンクリート製に改修したことから稔橋と呼ばれています。

富内線とは、1922年(大正11年)沼ノ端と鵡川を結ぶ金山線として開業。

1943年(昭和18年)に富内線に改称されたが同年に休線。

戦後は富内線跡が上厚真苫小牧線として道路に転用されたが、1970年(昭和45年)勇払川の大改修に伴うルート変更により道路としての役割を終え、稔橋はそのまま放置された。

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数年前から気になっていた稔橋、想像してたよりも立派な橋で大興奮。

線路として汽車が走っていた様子、戦時中にこの立派な橋を作った兵士の姿、道路として車が走っていた様子、それぞれの時代の様子を頭の中で思い浮かべてました。

この稔橋から海側に2、3分歩くとアイヌの丸木舟が発見された場所があります。

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昭和36年頃、勇払川で漁をしていた漁師が発見し、昭和41年に引き揚げられた丸木舟。

引き揚げられた丸木舟は現在苫小牧美術博物館に展示されています。

なおこの辺りは苫小牧の自然環境保全地区に指定されていますが大量のペットボトルが堂々と不法投棄されていました。

自然保護地区を示す看板のすぐそばです。犯人が見つかることはないでしょうが、もし見つかったら実名、顔写真入りで世間に発表すべきと言いたいくらい腹立たしい行為です。

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②旧植苗小学校跡地、美々尋常小学校跡地

1903年明治36年)に開設、1972年(昭和47年)に現在地に移転されるまでこの地にあった植苗小学校の痕跡は門柱のみ。

緑が濃くなると隠れて見えなくなってしまうでしょうね。

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近くに美々尋常小学校跡地があり記念碑が建てられているとの情報を得て行ってみました。

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ボーッと運転してたら素通りしそうな場所にありますが、記念碑と一緒に植えられたであろう印象的な木が目印。

美々尋常小学校大正3年から大正10年までの7年間しか開設されませんでした。

その後美々尋常小学校は植苗小学校と統合され、その役割を終えました。

この碑は平成15年に開校百周年の記念事業として設置されたもの。

車もほとんど通らないこの場所に、かつて小学校があった様子はなかなか結びつきませんが…

入植者の住まいがそれなりにあったんでしょうかね?

まだまだ知らないことがいっぱいですね。