苫小牧 旧西町まち歩き
先日、旧西町地区(矢代、弥生、大成、白金)を探索してきました。
まずは苫小牧西小学校。
明治9年に開校し今年で145周年、苫小牧で最も古い学校です。
元々は今の本町、中央ボウル辺りにありましたが大正10年の大火で焼失、同年現在地にて再建されました。
なおこの火事で開校から当時までの書類が全て焼失してしまい、現在の学校長が何代目なのかも分からないそうです。
校内に2つの碑があります。
①供養塔
昭和40年建立。児童や教職員に不幸な出来事が相次ぎ当時のPTA有志らにより供養塔を建立、慰霊祭を執り行っていた。
なお慰霊祭が公教育の場における宗教的行事となることから昭和60年以降は行われていない。
②百年記念碑
昭和51年、開校100年を記念して建立。なお向かって右側の台座の下にはタイムカプセルが埋められており開校150年、あと5年後に掘り返すそうです。
その後向かったのが大成町、旧中村牧場のサイロ。
(2018年撮影)
一年半前にたまたま通りがかりに見つけて、その時は大成町の成り立ちとか何も知らなかったので不思議に感じたサイロ。
知らない方は下の画像(昭和36年の航空写真)を見てください。
現在の西町公園辺りから苫小牧川までは大成小学校を除き全て中村牧場の敷地。
で、今あるサイロの場所もほぼ当時と同じ。
中村牧場は明治41年に浜町(現高砂町)で始まったが大正10年頃から西町にも進出。大正13年、修学旅行の引率で苫小牧に宿泊した宮沢賢治が海岸近くの中村牧場の牛を見て「牛」という詩を書いたのは苫小牧では有名な話。
今では高層住宅や戸建てが建ち並ぶ市内有数の住宅地ですが、この地域の歴史が牧場から始まったことを物語る貴重なサイロ。
いつまでも残して欲しいというのは第三者のわがままでしょうかね?
さて、西町まち歩きは他にも大成町に残る住宅博覧会(昭和28年)のモデル住宅や白金町の王子社宅を探索しましたが、他地域も含めてのブロック住宅という括りでそのうち書きます。